(写真をクリックすると、大きな写真が表示されます)

2016年10月31日(月)
季節進度

今年は紅葉の進み方が遅いと言われている。
たまたま、昨年の写真でこの時期の紅葉を写したものがあったので、同時期の写真を撮り比較してみた。

いづれも10月31日、午前8時49分頃。上が昨年、下が今年。
昨年は陽が指しており、今年も好天を願ったがことは願いどおりにはいかない。

左側中段のトウカエデ、昨年は綺麗に紅葉しているが今年は然程と思われない。陽射しの差ではないように思われる。
昨年の写真で、右側下段の黄色に光る木は「ナンジャモンジャ」。時期を忘れたが竹林跡地に移植したため今年は写っていない。

畑地の整理は今年が進んでいる模様。これはMの力による。これは季節進度と関係はない。

2016年10月30日(日)
机と椅子 その2

27日付け、机と椅子の続き。
27日では会社時代の机と椅子に触れたが、学生時代の机と椅子はどうしていたのだろうかと思い始めた。

入学後の最初の住まいは学生寮である。この寮は「明専」時代の名残りがあって少し異風であった。同室の人数は7〜8名。1年生から4年生までが同室になる。1年生は上級生に生活面でも指導を受けるシステムである。
部屋の構成も独特。1回が寝室、2階が勉強部屋。1階に人数分の布団が常時敷いてある。2階には机と椅子が8(だと思う)個向かい合う形で並ぶ。備え付きの椅子付きの立ち机である。したがって学生は机を用意する必要はない。この寮には1年生の秋までいて、その後は下宿した。

下宿先は民家の別棟、前と後ろに部屋がある構成である。寮では異室の同窓生と一緒に転居した。同窓生の父親と下宿先の主人が知り合いという縁で入居となった。
部屋の前側は日当たりもよく作りもまあまあであったが、後ろ側は戸に破損個所があるなど良い出来ではない。入居の経緯で同窓生が前、私が後ろに入居した。
およそ半年後この同窓生が別の下宿に転居した、いきさつは覚えていない。これを機に、私は前側に移る。そして、寮で同室であった違う科の同級生を呼び彼が後ろ側に入居した。
この状態で卒業まで過ごした。

前置きが長くなった。話を戻す。机と椅子。
写真の束「大学生」を探してみる。有り難いことにチャンとあった。

この写真はすでに「前」に移ってのもの、と思われる。
したがって、昭和41年か2年であろう。部屋の灯りは白熱電灯、机の灯りは蛍光灯のようである。机は立ち机で椅子もある。ただ、机は座り机に脚をつけ立ち机に即席改造したものだ。
この座り机には見覚えがある。実家にあったもの。買い求める金がなく実家から取り寄せたものに違いない。この辺の経緯はすっかり失念していた。

炬燵もある。冬の写真のようだ。リンゴ箱を3段積み重ねた本箱を写した写真もあったが、掲載は割愛した。
机上の本立てに岩波の「世界」と「朝日ジャーナル」があるのも、当時の学生らしく微笑ましい。
ラジオ、電気コンロ、電気ポット、トースターもある。白黒テレビの記憶があるが、この写真群には写っていなかった。この写真の後のことかもしれない。

学生時代の思いで、嫌な記憶がない。下宿もよい「思い出」ばかり。
有り難い、幸せな時代を過ごしたものだ。

2016年10月29日(土)
かかし祭り

自治会と公民館共催のかかし祭りが開催される。

この自治会は3集落からなり、それぞれの集落でテーマを設定してかかしを作り展示するというイベント。今年で第8回だそうである。
八色石集落の今年のテーマは「オリンピックとイノシシ」。2項目結合の意味はよく解らないが、テーマを決める集まりで2項目が候補に上り、それでは2つ作ろうと、なんとなく決まってしまった。

これまで半日3日かかり、今日は展示の日。

迫真のイノシシの親はF1氏の作(任せられて一人で作成)。
残るは集会所に集合して皆で作成した。ただし人形の骨組みはF2氏がほとんど担当。衣類や顔は女性陣約3〜4名があたる。
私はインターネットで画像を検索して持参した。人形の骨組みは大半この画像がベースになっている。

展示中通りがかりの人がしばし足を止め、作業を眺めていた。誰も異口同音に出来栄えを褒める。特に親イノシシには誰もが驚き、賛辞を呈した。
地区担当のおまわりさんも通り、最後までいて、参加者を集めて記念撮影。おまわりさん発行の瓦版に写真付きで記事を載せるとの事。

八色石集落は多彩な腕の持ち主が揃い何とか制作しているが、負担になっているのも事実。もういいよ、という声も上がっているようで、第10回をもってイベントの終了が決まっているらしい。

2016年10月28日(金)
靴の写真
H・F氏から写真付きのメールが届いた。「この写真、送っていただろうか?」の付記があるが、見覚えがないので初めてと思う。
先日、25日づけ余談の項、私が贈ったという靴の写真である。


女児の頭上に2足の靴が写っている。仔細に見ると少し靴のサイズが違うよう。左が小さく右が大きい。

日記を読み返すと、「昨日HFから『女児誕生』のTELあり」とあるから、靴を買い求めすぐに送付したとして、この写真は誕生後1週間くらいのものであろう。
歩き始めるのは1年先、大きな靴を履くのはさらに1〜2年先、ここまで元気に育てよ!、の願いを込めてのプレゼントと思われる。
我ながら、結構配慮したことをしていると自賛した。

この女児、その後健やかに成長し、良縁を得て、長女をなし、その長女がすでに成人を迎えている。
大慶なり。

余談;H・F氏以前はガラケータイプの携帯であったはず。今回のメールには「iPhoneから送信」の署名があるから、同氏もいよいよスマホデビューのようである。
2016年10月27日(木)
机と椅子

一昨日のロッキングチェア、現在これをデスクチェアーで使用しているから以前もそうであっただろう、と短絡的に思い込んだが、そうではなかったと思い出し始めた。
ロッキングチェアはそれとして単独に購入し、机と椅子は別のものがあったのでは、との思いである。

チョッと話がずれるが、Kの写真は高校まではアルバムに整理されている。これはK自身で実行した。そして結婚後の写真はMが管理している。
この結果、大学時代と入社後初期の写真が未整理で束になっていた。これを昨年の冬仕事で整理した。ただし、思うほど作業が進まず大学、会社、その他の3分類に区分けすることで終えている。

この「会社」の分類に机や椅子の写真はないかと思い始めた。
探してみる。レクレーション大会や飲み会の写真が大半の中にあった。

この写真は寮生活時代のものであるが、溝の口の寮ではなく、昭和46年から結婚までの約1年間住んだ東京の大井町の寮(望海荘)と思われる。
上の写真に引き出しのない机と椅子が写る。下の写真に先の椅子とロッキングチェア。
ロッキングチェアは単独に機能している。

ただし、ここに写る机と椅子が一昨日記した「机7850円、イス2800円也」かどうかは解らない。おそらく、違うものと思われる。

今になって気づいたが、この写真に写る机と椅子のセットはその後長く愛用し、この地に住んだ当初まで使い続けたもの、と思い出した。

記憶とはいかにも曖昧なものである。

余談;この写真懐かしいものが結構写っている。机の上の肖像写真は中谷宇吉郎のもの。着物姿のこのポーズ、真似して自分も撮った記憶が甦った。その着物が下の写真に写っている。これはKの母が作り送ってくれた。

2016年10月26日(水)
南無阿弥陀仏

報恩講の日である。我が家の師匠寺は矢上にある西善寺さん。
毎年この時期に、家まで来ていただきお経をあげてもらう。
報恩講は宗祖親鸞の命日を偲んで行われる法要であるから、門徒というよりお坊さんの方の行の感が強いと思われる。葉書でいついつ行きたいが如何、という案内があり日を設定する。
それが今日。

仏教に対して以前は拒否反応を有していたが、今はその気はない。かといって仏教心が厚いわけでもない。
あるがままに受け入れるという感である。
したがって、仏壇などの掃除をいつもしているわけではない。何かのことがある場合がほとんどである。
今日は朝から仏壇掃除。神棚にも榊を備える。ここらの仕事はいつもKの役目になっている。

「軸も替えたら」とMが言う。そうだなと納得する。

架け替えた軸がこれ。
Kの父親が書いたもの。6月15日の「篆刻」でこの軸のことに触れている。
77歳とある。今の私より少し上、力のある良い字、と子供として思っている。落款の印は私の作。これが15日付け篆刻のこと。

「風鎮はつけないの」とMが言う。すでに写真を撮ったあとで、まあいいや、とそのままにしておいた。

一両日はこのまま懸けておき、父の生きざまを偲ぶことにしよう。
私の方は親鸞さんより父の方が偲びやすい。

2016年10月25日(火)
ロッキングチェア
午後は雨の予報であったので午前中は外仕事に専念した。刈り草を焼く仕事。数日かけて乾燥した草が雨で濡れてはもったいない。
午後も少し残った作業をこなし、部屋に入る。
すぐに雨が降りだした。しめしめという感じである。

私用の事務を済ませて、本を読んでいるいるとき、座っている椅子がグシャときた。
永年使用している椅子。ロッキングチェアであるがデスクチェアとして使っているもの。
8月1日付けの写真で様子はご理解いただけよう。

さてこの椅子、座面は板を張り合わせたもので、接着剤の劣化で割れることがある。
その都度木工ボンドで張り合わせ修理しつつ使用しているもので、その回数はもはや数え切れないほどに上り、修理方法も確立している。
今日も慌てず修理した。破面に木工ボンドを塗り、小型万力で固定する。圧接方向に力を加えるため足に紐を掛け縛る。後は放置。

この椅子には購入日を記していた。椅子の裏側。「s44.7.3 at Tokyu in Shibuya」の文字がある。


会社入社後2年目にあたる。住んでいた場所は川崎溝の口の独身寮。どうやって渋谷から寮まで運んだのだろう、と思いを巡らせているとき、当時の日記のことを思い出した(9月8日づけ 玉手箱)。

昭和44年を見る。残念なことに同年の記載は8月17日からで7月の記載はない。

余談;驚くことに同日の記載は、先日触れたH・F氏の「女子誕生」のことを記していた。お祝いに靴2足、革製と編んだものを銀座で買い求めたとある。

話を戻す。何か手掛かりはないかと前年の日記を探してみると、7月29日にあった。「机を探しに出る。東急デパート。いいのがあった。机7850円、イス2800円也。なかなかいい品」
ただ、買い求めたとの記載はない。

先の記述はほぼ1年後になり、それまでは買うのを我慢したのであろうか。
運ぶ手段は思い出せない。タクシーか、デパートに運んでもらったか、おそらく後者なのであろう。

いずれにしてもこの椅子、47年の長きにわたり居を共にしていることになる。

2016年10月24日(月)
藤井恵
料理のことについてはこのHPの中で何回か触れている。
木曜の夕食つくりは99%の確率で実践しているし、その他の日の昼食、夕食の一品つくりは、週3〜4回は行っているかもしれない。
昨今、料理をすることが嫌でなくなった、というかむしろ進んで作ることが多い。少し面白いと思うときもある。

ただ、創作料理はない。応用料理は多い。

参考にする資料は半数以上が「クックパッド」、次に料理本。
料理の本や雑誌で、自分で購入したものが10冊程度はある。
購入時期はほとんどこの1年以内で、料理に対する態度が変わったことはこのことでも判る。

料理作家で好みの人は藤井恵さん。1年位前に出逢った「わたしの家庭料理」、この中に出る料理は10品以上作ったか。中でも絶品は「ごまみそもやし鍋」で、我が家の定番鍋になっている。
ご飯にマヨネーズを混ぜる「パラパラ炒飯」もよい。今や私の作る炒飯はほかの味付けでもマヨネーズが入る。

今回アマゾンで検索して、新たに本を求めた。「藤井恵著 飲める献立」、一昨日到着した。もちろん中古本、ほぼ半値で手に入れた。


パラパラめっくってみたが、興味のあるものも多そう。
まだ作ってはいない。



2016年10月23日(日)
色づく

朝、2階から窓下を見るといつの間にか前庭の木々が色づき始めていた。

いよいよ秋本番である。

NHKの気象コーナーで、色づきの仕組みを説明していた。
1.もともと葉には緑と黄色の色素が含まれている。気温が下がると緑の色素が分解され黄色に見えてくる。
2.赤くなるのは別の仕組み。寒くなると、葉で作られた糖分が枝にゆかなくなり葉の糖分が高まる。この糖分に日光が作用して赤色の色素が新たに作られる。日が当たらないと紅葉しない。日陰の葉は緑のまま。


2016年10月22日(土)
銭宝ウォーキング

10月8日付け第2項で記したウォーキングが実行された。
名付けて「銭宝ウォーキング」。
Kもスタッフの一員として参加した。


主催は「銭宝の里ウォーキング実行委員会」、共催は「役場保健課」
事務局リーダーの手際のよい指示をもとに、準備委員会を2回開催。それぞれの部会で行動し、水色の幟、スタッフジャジャンパー、あちこちの看板など作成、オープンカフェも開催する、というまことににぎにぎしい大会となった。
コースは硬軟織り交ぜた3コース。参加者は60名弱。スタッフ総勢40名のイベント。

私の歩いたコースは3コースの中での最難コース。9時9分に出発、高野山(こうやま)(545m)を布施側から目指し、9時時48分に頂上着。10時8分に八色石側に向かい降り始める。麓着が10時48分。次に龍岩神社を目指す。龍岩神社は444段の階段上(434m)。着いたのは11時30分。5〜6分休憩し、ゴールを目指す。ゴールは出発地に同じで着いたのは12時23分。
3時間余の結構ハードなウォーキングであった。

帰り着いてからオープンカフェでお昼をとる。おにぎりと豚汁セットが200円、ケーキとコーヒーのセットがこれも200円。400円でほぼ満腹になる。

この折、これも今回新作し参加者に配布された「銭宝の里 お宝まっぷ」を見る。A3表裏にカラー印刷された散策マップで立派な出来栄えのもの。

見ていて、フォントの一部に目が行った。それはマップ部の説明に使用されている。よくよく見ると私の作った手書きフォントが使用されていた。3年前の冬仕事で8千字手書きして作成したもの。今回の主催事務局女性事務員に望まれてデータを渡したのを思い出した。


(ウォーキング開会式風景、高野山頂上
お宝まっぷ、Kの作ったフォント(手書き部))

思いがけないところで、自作フォントが使用されていて少し驚き、そしてなにか嬉しい気分に陥った。

2016年10月21日(金)
鳥取地震

朝からMの実家の手伝いに行っていた。

昼過ぎ、作業場は屋外、私他の携帯に特殊な信号音が入る。何事かと思いながら携帯を開けると「緊急地震速報」。

ただ、何事もなし。
いったい何事が起きたのかと、スマホのニュースを見ると、どうも鳥取で地震が起きたらしい。
「らじるらじる」を点けると、地震のニュースを繰り返していた。
我が方は何もなく作業を続け、3時のお茶で家に入る。

テレビを点けてみる。地震の被害状況も出始めている。
見ることもなくコーヒーを飲んでいると「上田カメラマン ・・・」というアナウンサーの声が耳に入る。鳥取の被害、大阪にいる息子のはずはなく、他に上田というカメラマンがいるのだと思っていると、突然息子の声がし始めた。
Mや実家の母らに知らせる「敬一郎だ!」
皆、テレビ前に集まる。
どうも音声回線の繋がりが悪いらしい。声が途切れ途切れ。アナウンサーが仕切る。

やっと、落ち着き敬一郎の声「大阪から飛んで来ました・・・」、中継画像が進行した。

かれこれ20〜30分は見ていたか。

気象庁の会見が始まり作業に着いた。
1時間余りのお茶で作業は遅れ気味、夕方ほぼ暗くなって予定の作業を完了した。

夕食を馳走になって家に帰り7時のニュースを点けると再び息子の映像が流れた。

余談;
昨日のHFからTELあり。無事に帰れた?と聞くと、蒜山のサービスエリアで地震に遇ったらしい。猛烈な揺れであったとか。少しの交通渋滞に遭遇も、無事の帰還と聞く。安堵。



2016年10月20日(木)
有朋自遠方来 不亦楽

時折、このHPの掲示板に投稿してくれるH・F氏が元同僚3人を連れて来訪してくれた。
数日前に連絡をもらい心待ちにしていたもの。

H・F氏はKの高校時代の同窓生。他の同僚3人とは初対面。
3人はHFのことを口をそろえて「怖い上司」と呼んでいたから、元部下の人であろう。年齢も我々より3〜4歳若い方たちであった。
職場は京都方面。

昼食を一緒にとも考えたが、旅の予定でそうもいかないらしく、午前中1時間半程度の滞在であった。

いつものコースを散策、およそ30分か。その後飲むわけにもゆかず、母屋の裏でコーヒーなど。
よもやま話をして過ごした。

H・F氏は別として、他のお三方とこれ以後会うことは、おそらくないであろう
一期一会である。
僅かな時間であったが、のんびりとした良い出会いであった。

余談;
来訪者4人とも、「アラコキ」の方にもかかわらず、シャツをズボンの外に出していた。調べたらこの着方「シャツアウト」というらしい。
田舎暮らしの私の場合、たまに屋内ではシャツアウトにするが外ではしづらいのが現状。今後は着方の勉強もしよう・・・。


2016年10月19日(水)
白鷺幻影

一昨日公民館に出す写真のことに触れた。
出品点数が1点では少し寂しい気がし、数を増やすことにした。

増やしたのは、6月22日で記載した魁夷風の写真の改定版。6月22日の写真では白鷺が2羽しか飛んでいないが、その数を増やすことにした。

合計9羽の白鷺が飛翔している。
この中で同じ絵を大きさと傾きを変えて2羽使っている。もちろん全部異なる画像にすることはできたが、遊び心で、見る人が気づくか、敢えて、試してみた。

横山大観の絵に「霊峰飛鶴」というのがある。大観の絵と東山魁夷の絵を足して二で割った雰囲気。
まあ、遊びとしては良いできか、と「自画自賛」。

題名は「白鷺幻影」とした。

2016年10月18日(火)
禍福

少し前の話。
イノシシの話題に関連する。
母屋の横の傾斜がひどくイノシシに掘り返された。
整地するのはかなりしんどいな、と思っているとき、整地しながら草刈り足場を同時に作ろう、というアイディアが突然浮かんだ。

過去、この傾斜に草刈り用の足場は一、二度作ったが、つくりの規模が小さかったのか雨風で埋まってしまう。どうせ作るなら、荒らされた個所を整地しながら少し大きめの足場を作ろうと思い立ったのである。
また、Mに言われながらも数年伸ばしていた山水の排水管も取り付けた。

半日づつで3日掛かりの作業であった。
イノシシに荒らされなければこの作業に着手する気にならなかったであろう。禍を転じて福と為すでる。

距離は結構長い。全貌を写真に撮るのがむつかしい。遠方から撮ればよいが手前に邪魔な構造物がある。
仕方なく、横に少しずつ移動して撮影しパノラマ写真機能で接続してみた。
あまり良い出来ではない。


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2016年10月17日(月)
写真加工

朝起きて自室に上がる途中で窓外を見ると、八色石の中心が位置する方向の山にボーッと雲がかかっていた。まだ明けきれていず、街灯も灯る。静かな朝という感じで写真に撮ってみた。

撮った結果を開いて見ると、明るくない中で撮ったためシャッター時間が長くなり手振れ気味。どうもピントが甘くなっている。
何枚か撮った写真が全てそのよう。捨てるかと思ったが、まてよ加工してみよう、と思いとどまった。
今日は雨模様、外仕事はできそうになく、写真加工で少し時間をつぶした。写真、いろいろ試した結果が次のもの。

いい雰囲気になったと、文字通り自画自賛である。
6月15日付けの篆刻を落款画像として抽出しており、これを右下に加えて完成画像とする。

地域活性化行事として今月22日にウォーキンギ大会が計画されていて、その協賛イベントで写真展示もされる。写真募集が行われていて応募要請もある。これに出してみるかと思いついた。

ピンボケが思わぬ展開となった。

2016年10月16日(日)
尾野真千子

NHKドラマ「夏目漱石の妻」を録画して観た。
土曜のドラマで4回シリーズ。主演は尾野真千子、今回も秀逸の演技であった。

彼女を初めて見たのは、これもNHKで「火の魚」であったと思う。かなり前の放送。舞台は瀬戸内海の島、大崎下島。本の編集者の役で、若い女優さんなのに上手だと思った記憶がある。後年この島を訪れドラマの舞台を懐かしんだ。
その後「カーネーション」で大ブレーク、当代の若手No.1の女優となった。
同氏のドラマは結構見ている。やはりNHKの「夫婦善哉」、これは迫真であった。最近では民放の「はじめまして、愛しています」などなど。そういえば「足尾から来た女」も見た。

映画で見たのは「殯の森」「そして父になる」。川瀬成美監督に見いだされて「萌の朱雀」で初デビューしたのは有名な話。

まだまだ若い、当分楽しませてもらえそうである。

2016年10月15日(土)
祭りの幟

集落の春祭りについては4月3日の項で触れている。
今日は秋の祭りにあたる。

この地では祭りにあたり大きな幟を立てる。
かつては個々の家でその幟を立てていたようであるが、その風習は維持しがたくなって、個々の幟を集落有志が預かりまとめて立てるようになっている。

立てる場所は3ヶ所。集落の集会所(保養館)に2本、氏神様(龍岩神社)参道分岐点に3本、そして神社階段前に2本である。
また、各戸には少し小振りな幟を立てる。これは平成18年に一斉に新調したもので我が家も参画した。


(保養館、我が家
分岐点、神社前
いずれも今朝撮影))

秋空に映えて幟のはためくは、いかにも祭りという感じで、気分が晴れやかになる。

我々の幼少期、祭りには親戚縁者を呼びお膳を仕立ててお祝いをしていたが、今はその風習はない。

ただ、最終勤務地の飛騨神岡では、今でも祭りに知人を呼び寄せ大いに振る舞う習慣が残っていた。
我々よそ者はご馳走に預かるのであるが、一日に何軒も梯子をして回るという感じで、各戸独特の郷土料理を堪能させてもらったものである。
一方、祭りの日は会社を休んで良い、という慣習が残っていて組織運営の側からいうと不便な日でもあった。

祭りの日には色々なことを思い出す。

2016年10月14日(金)
寒さを見る

ここのところ人に会うと「寒ぅなったのぅ」というのが挨拶である。
「寒くなりました」 という当地の方言。

確かにこの数日急に寒くなった。我が家では今朝、灯油ストーブの小さいのを出してきたほどである。
具体的にはどうなのか、温度の変化を見てみることにする。

上のグラフは8月14日から今日までの温度、下は今日一日の温度変化を示したものである。
暑い8月、それになりに暑い9月があって、今月10日頃から急に寒くなってきた。
そして今日、朝の3時13分に7.0度になっている。
これは今年になっての最低気温。寒く感じるわけである。

これからはだんだん秋も深まり寒くなることだろう。ただし予報では、週が明けるとまた暖かさが戻るといっている。

一進一退が続くのか。

2016年10月13日(木)
整地
イノシシとの戦いが一応の終結を見て以来、時間を見つけては荒らされた場所を整地している。
欅台から始まって、桜台、竹林跡地、そして最後が二の畑である。
特に二の畑は縦横無尽に荒らされておりまるで耕運機で掘り返した如くである。そのまま整地するわけにゆかず、まず草の根を掘り出す。それらは一定個所に集め乾燥後焼却にかける。
飛び飛びであるが二の畑の整地も今日で3日め。


ただ、整地の後は綺麗に見える。
本日は頑張って、全ての整地作業を完了した。
今回の整地作業、合計で14時間を要した。

イノシシめ!。
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2016年10月12日(水)
パソコンの回復 
HPを管理しているパソコンの動きが悪くなり、回復処置をしなければならない状況に追い込まれた。
(先日のお詫び情報の内容)
その遠因を作ったdマガジンについては一昨日触れた。

このdマガジンの中に「日経PC」が載っていて今月号の特集が「もっと速くなるWindows」とある。そして、フリーソフトの優秀なものがあり、これを使うとパソコンの動きがはやくなると載っていた。
買った当初からであるが、私のパソコンは動きが遅い、と思う節がある。
このフリーソフトを試してみようと思い立った。記事を印刷する。タブレットから印刷する手間に比べると世話はない。


フリーソフトをダウンロードして効果を試す。

パソコンを立ち上げた時の時間について。
処置前2分33秒かかったものが、レジストリとメモリのデフラグを施して1分37秒まで短縮した。気をよくして「スタートアップの管理」に挑む。ここで異変が起きた。立ち上がり時間が急に遅くなる。測ると5分近くかかっている。何が起きたかわからない。
ソフト内で、色々やってみたが治らない。

これでは使用に絶えない、とフリーソフト導入前に戻すことにする。まず「システムの復元」。これで戻せば「システム」は戻るが自作したファイル情報に影響はない。ところが、この復元ができない。エラーメッセージが出て復元しないのである。

万策尽きて最後の手段を取ることにした。「パソコンの回復」という作業。
使うことはほとんどあるまいと思いながらも、万一のことを考えてこれまで週1回程度の頻度で「パソコン情報を丸ごとコピー」していた。これに要する時間は2〜3時間かかる。したがって深夜寝た間に保存することにしている。今回、この保存を10月6日にしていた。

コピーした丸ごとの情報をパソコンに戻せばパソコンはその状態に戻る。これを「回復」と呼んでいる。今回の場合10月6日にもどることが出来る。実行すれば、問題点は解消できるが、一方6日以降作成した情報は全て消え失せ、作り直ししなければならない。

仕方なく「回復」を行った。初めての挑戦でおどおどしながら作業したが何とかやり果せた。
昨日今日、昼間は屋外作業、夜はパソコンとかなり強硬な日程となる。
本稿も6日以降は再入力した。

2016年10月11日(火)
腫瘍マーカー 5.07 
4月12日付け記した検診から半年経ち、安佐市民病院に受診にいった。
受診風景は4月と全く同じ。血液監査、待つことおよそ2時間。問診は20〜30秒。「値は5.07、安定しているので今度は1年後にしましょうか」となった。

今回は買い物はほどほどにして映画を観た。
新海誠監督の「君の名は。」。8月から上映され未だに継続している。さすがに見物客は多くはない。20名程度か。若者がほとんどである。


映像は綺麗。ジブリ作品に比べ繊細な感が強かった。
物語は、飛騨の村に彗星が落下することにまつわるもので、飛騨に長く住んだこともあり、飛騨が出ることに別の興味ももって観た。娘のおばあさんが飛騨弁(らしき)言葉を発するのも懐かしい思いで聞いた。

ただ、物語の様相が時間的に前後、場所も東京と飛騨、それに男女入れ替わりと目まぐるしく、話を理解するのに苦労した。少し納得でき始めたのは、もはや物語の終盤であった。
話の展開に付いていけない、年の性であろう。大いに寂しい限り。
2016年10月10日(月)
dマガジン 
ドコモが運営する雑誌読み放題のサイトである。約160誌が載っているという。
私はおよそ1年前から購読していて価格は税込み432円/月である。
見たいと思う雑誌はほとんど載っている。これに「文藝春秋」があれば言うこと無しであるが、これは無い。

新聞、テレビで入手できない情報が雑誌に掲載されることはかなり多く、かといってこれら雑誌を都度購入するのは経済的にも楽ではない。
また、田舎に住んでいると雑誌を購入すること自体が大変である。

この場合、dマガジンは雑誌1冊分の購入代で全て読めるのであるから、コストパフォーマンスはすこぶる高い。

私の場合、甘利大臣問題や舛添知事問題の発端となった週刊文春記事はこれで読んだ。
唯一の問題は、私が契約したころは、PCで読めないことであった。スマホかタブレットに限られた。
画面が小さい、印刷しがたい。

ところである。これが今年の2月から読めるようになっていた。このことを知ったのはつい先日。


大画面で見ることが出来、必要部分は印刷も容易にできる。

田舎に住む不便さがさらに一つ減少した。


2016年10月9日(日)
60年前
恒例の地区民運動会が開かれた。朝の天気は晴れたが昨夜の雨がひどく、グランドがぬかるみ競技は体育館内での開催となる。
当地区は名だたる強豪チーム。今年も優勝して3連覇となった。祝勝会(なおらい)はいつになく参加者が多い。
大会は第61回、よく続いたものと感嘆の念あり。

第1回が開催されたのは60年前、60年前はどんな年なのかとふと思った。
60年前は1956年、昭和31年になる。
「家族の歴史」というExcel年表を作成していて、これを開くと昔のことが一目瞭然。家族の出来事では長姉が結婚している。備考欄には日本が国連に加盟したとも。

さて、私は12歳。小学校6年生。この年で私の人生は大きく変わったと言えるかもしれない。東先生に出会っている。
先生については6月12日でも少し触れた。
アルバムを開いてみると先生の下宿で勉強しているものもあった。


真ん中が私、左はK君右はY君。Kは佐賀にYは東京に今は住む。
小中の同窓会を開けば東先生の話題にいつもなる。先生は私だけでなく皆にとっても思いの深い先生であったのであろう。

これからは、地区民運動会に参加するたび小6を思い出すことになるかもしれない。
2016年10月8日(土)
屋外行事二つ
予報では雨であったが、思いがけず良い天気になり、台風の影響などで順延されていた二つの行事に参加した。

一つ目は旧瑞穂町単位で開催された老人会行事、老人会行事も今は現町単位で開催されるが、旧町単位は今回行事のみ。参加人員も少なく、顔見知りも多い。
我が地区からはペタンクとクロリティに参加したが、私はペタンクで出場。これは1チーム3人で戦う。1名は80を超えたMさん、もう1名は女性のHさん。私より上手。
15チームで争ったがなんとその中で優勝してしまった。賞金は3千円。メンバーで山分けがルールになっていて、1千円獲得した。競技に出場して賞金をもらったのは初めての経験である。少し愉快な気分。

もう一つは山道整備。午後から従事した。地区近郊に高野山(こうやま)という山があり、10月22日、この山を含めた3ルートのウォーキンギが計画されている。
そのための事前作業で、3人で作業した。他の二人は行事の責任者。
1時半ころから登り始め、途中崩れた個所を直し傾斜の急な個所に階段をつけたりなどする。
およそ2時間かけて頂上に着いた。


数年かけて山道整備がされ頂上の見晴らしも保全されている。頂上には展望台も。

二人は私よりかなり若い。私は山登りは久しぶり。ついていけるかと最初は内心躊躇したが、何とかやり果せた。大いに安堵して降りた次第。
2016年10月7日(金)
香茸 
友人からの頂きもの。「すき焼きにして食べんさい」と言って持ってきてくれた。
関東ではほとんど話題に上らないが、当地ほか関西では殊の外珍重される。松茸より高価で販売されることもある。


塩漬けにするか、乾燥して保存し、郷土料理の角寿司の具材などにするのが通常。
それが「すき焼き」で!。
食べたことがない。
そんな折、広島に住み半ば母親と半同居のMの妹が来宅し、夕餉を共にしないかとなった。妹は母を呼びに戻り一緒に食べることにする。

「すき焼きは久しぶり」「すき焼きで食べたことがない」と賑やかになった。
「灰汁が強いから生で食べてもよいの?」と誰かが言い、議論の末、友人に電話して食べ方を聞く始末。生で食べてよいらしい。

「貴重品、全部食べるのはもったいない。少し干したら」と母、「折角の申し出、全部食べる」とM。一時Mの議論で終結と思っていたら、いつの間にか母の言に収まった模様で、写真の3ヶは保存用。
すき焼きは写真より一回り大きいものを1ヶ食べた。
香あり、食感ありで誠に美味。至福の体感となった。

久しぶり親、姉妹揃ってのの賑やかな晩餐であった。
私はアルコールも手伝って早々と眠気が来る。
残る3人はかなり話し込んだ模様で、私は両人の帰ったのを知らないまま夜が更けた。

2016年10月6日(木)
再生-その6 
今日、定期検診で邑智病院。
前回検診時、肝臓が心配と話したら「次回血液検査をしましょう」となり、今回検査した。
結果は「γ-GTBが基準を少しオバーだがこのくらいならいいでしょう」となり、まずは一安心。
若い先生であるがてきぱきと応対してくれる。次回は「腹回りのCTを撮ってもいいですか」ということで、次回はCT検査がある。
私にとっては邑智病院が「かかりつけ医」だ。

そんなことで今日はここに掲載する写真がない。
欅の写真でお茶を濁すことにする。


緑の状態では今年最後の姿。今後は葉が紅葉し、落ちるばかり。
先の姿が予測できない。

余談;
節電のため、大方の使用者は一定時間パソコンを操作しないと「スリープ」になるよう設定する。私もしている。
ところが、最近「切れていない、な」と思うことがちょくちょくあり、まさかと思いながら確認してみると設定時間を越してもパソコンがスリープ状態にならないのである。判明したのは3日前。
調査、情報検索、試し、確認を2日掛かり繰り返し、今日夜やっとのことで修正した。結構大変な作業であった。
2016年10月5日(水)
空振り 
9月5日の12号、9月20日の16号、島根県に近づくと予測された台風であるが、いずれも難なくとおり過ぎた。
それらに比べ今回の18号は、雨は少ないものの風は猛烈に吹くと予測された。
朝早くから暴風警報が出る。

我が家も今回は厳戒態勢を取った。
早くも朝から雨が降りだし、周辺のものを片付けた。飛び散りそうなものを収め、植木鉢なども取り込み、物干し台も倒したりした。

しかし、その後は一向にその気配がない。空は明るくなり、午後3時頃には陽が照る始末。
どうなったの、と思っていると、ようやく4時ころから風が強くなり始めた。

5時頃には、若干強くなり、オオッと思わせ程になる。


(シャッタースピード;1秒)

裏庭の庭木も先端で30Cmくらいしなるほど。

しかし、有り難いことにただそれだけであった。
これで3本空振り、三振である。


2016年10月4日(火)
彼岸まで
何かいつまでも暑いような気がする。
残暑という言葉は立秋から秋分の日までのことを言うらしいから,残暑という言葉を使うこともできない。

この状況が単に感覚的なことだけなのか、事実なのかをチョッと調べてみることにした。



8月31日付けで記した温度グラフを描いてみる。上段上の図。8月4日から昨日までの2ヶ月分を表示してみた。8月の終盤でガクンと温度は落ちているが、その後は大きな変化がない。赤の2本の線は最高・最低温度の平均を乱暴に引いたものであるが、ほとんど平らである。

昨年はどうだったか、下の図。(9月、10月の最高・最低温度を示すもの)
最高も最低も日が経つにつれ少しづつおちているようで、10月初旬では最高が22、23度、最低が10度程度になっている。
ところが今年は、いつまでも最高が26度、最低が19度なのである。
いつまでも暑い、という感覚は事実である、と言えよう。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言い習わしは、おいおい死語になるかもしれない。困ったものだ。
2016年10月3日(月)
終戦 ? 
2夜続いてイノシシの出た気配がない。これまでの戦技が効いたのかもしれない。
いよいよ、今次世界大戦の原爆にも相当する、我が方の最終兵器を繰り出すことにした。

「アニマルパンチ」という。点滅発光し動物が近づくのを防ぐという機器である。
仕組みは、赤青の発光ダイオードを点滅させるもの。その電源が太陽パネルであることが目新しい。4ヶ購入した。値段はおよそ1600円/個。
取説には、OFFのまま最低3日間天日の下で充電とある。購入後今日まで充電していた。
満を持しての投入である。トルーマンの心境(笑い)


竹林跡、知足庵傍、大傾斜一角、母屋前の道路沿いの4個所に設置した。
夕方点滅状況を確認したら思いのほか光が弱い。効果には少し疑問が残った。
設置場所を少し変える必要がありそうである。

時間が少し戻るが、今日の午後、高校時代の同窓生2人が突然来訪。「様子を見に来た」という。
内、1人は初めて来てくれた。
庭を案内する。イノシシが掘り返した跡を整地した場所を見て「草取りをしたのかと思った」とも。
イノシシや草刈りの話をすると、「高校時代の生活振りからはとても想像がつかない」と驚いていた。
同窓会での再会を約して別れた。

さて本題、我が家の終戦記念日がノーベル賞生理学・医学賞 受賞と重なるか?

2016年10月2日(日)
金木犀 
朝、フワァと香りがする。金木犀が咲いていた。
その花の量が尋常ではない。木が黄色く見えるほど。


この木は元々前住者が植えたもので、母屋の前に生えていた。

移り住んで程ないころ、何かの工事のついでに「枯れてもいいですから」と重機で掘り起こし、現在の場所に植え替えた。
その言葉どおり一度枯れかけ、葉がほとんど落ちたが、枯れ枝を取り除いたりしていたらそのうち再び葉が出始め、今の形によみがえった。
剪定はほとんどしない。伸びすぎて電線にあたる個所を切り取る程度である。

邪険に扱われた金木犀、それでも花をつけた。その量がいままでで最大。若干申し訳ないような気がした。

移り住んだ当時は常緑樹が身近にあるのを好まなかったが、今は気嫌いする程でもない。

山梨県に住んだころ、借家の前にも金木犀の大木があり、今日の香りで山梨時代を思い出した。結構つらい時もあった。

別件;
およそ2週間、毎夜出続けたイノシシが昨夜は出現しなかった。経過継続観察中である。
2016年10月1日(土)
戦時中-2
昨日の作戦成功率は7〜8割と踏んでいたが見事にはずれた。
今日も、イノシシは二の畑を中心に現れ、そこいらを荒らしている。にもかかわらず、昨日線を張った場所には全く踏み跡の形跡がないのである。

かといって、他に入ったと思われる場所も見当たらない。
昨日記した「他に検討中の別案」は侵入個所が特定された上で、その場所を中心に設置しようというものであり、今次結果を踏まえる限り、さらに検討を重ねる必要が生じてきた。
も少し侵入経路を絞り込む必要がある。

元竹林の上には電柵が張ってあり、また荒らした形跡もなく、こちらの侵入はないと考えていたが、この仮説を確定する必要がある。
昨日同様に無電柵(電気を流さない電柵のこと)を張り結果を見ることにした。
この方法は景観をあまり損なわないのが良い。


要領は昨日経験済み。

左端は境界にあたりトタン壁になっている。右端は1m余の垂直な壁になる。
この線を越さないと侵入できないはずである。

結果如何。長期戦になるやもしれず。
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